asatoの技術的な日常日記

「成長に最大の責任をもつ者は、本人であって組織ではない。自らと組織を成長させるためには何に集中すべきかを、自らに問わなければならない」  非営利組織の経営 - ピーター・ドラッカー

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ソフトウェアは技術

実際の設計-こうして決めた」という本に次のような記述がある(19ページ)。

 個々の技術が存在しているとき、その技術を作ったときの決定の過程の記述は何故必要なのであろうか。それを示したのが図2.1である。できあがった技術をただ単に見ただけではその技術を真に理解し、利用し、更に発展させることはできない。そんなことを可能にするためには、今見えているものを生み出した過程、なかんずく、決定した過程を知らなくてはならない。図2.1(a)に示すように、技術の獲得には今見えているものを生み出した思考の過程を知ることが必要であり、そのことは技術を生み出した者自身がその思考の過程を記述し、他人に伝達可能な形に持ってゆく必要がある。このような記述をしたものは、同図(b)に示すように技術伝達に必要な閾値を越えるので、時間・空間・組織・文化・技術分野を超えて水平展開が可能となるが、そのような記述のないものは閾値に達することがないので消滅してしまう。


ここで上記の文の「技術」を「ソフトウェア」に置き換え、さらに、ソフトウェアの進化・発展を強調してみよう。


 個々のソフトウェアが存在しているとき、そのソフトウェアを作ったときの決定の過程の記述は何故必要なのであろうか。それを示したのが図2.1である。できあがったソフトウェアをただ単に見ただけではそのソフトウェアを真に理解し、利用し、更に発展させることはできない。そんなことを可能にするためには、今見えているものを生み出した過程、なかんずく、決定した過程を知らなくてはならない。図2.1(a)に示すように、ソフトウェアの獲得には今見えているものを生み出した思考の過程を知ることが必要であり、そのことはソフトウェアを生み出した者自身がその思考の過程を記述し、他人に伝達可能な形に持ってゆく必要がある。このような記述をしたものは、同図(b)に示すようにソフトウェア伝達に必要な閾値を越えるので、時間・空間・組織・文化・ソフトウェア分野を超えて水平展開が可能となるが、そのような記述のないものは閾値に達することがないので消滅してしまう


いくつかの疑問が思い浮かぶかもしれない。

・「設計文書がそのような記述に相当するのではないか?」設計文書は、選択肢を明示的に記述しているだろうか? 決定とは、選択肢からの選択である。設計文書は、なぜその選択肢が選ばれたのか問う根拠を記述しているだろうか?

・「ソースコードは、そのような記述に相当するのだろうか?」相当しないと考えられる。ソースコードは、概念的な決定を含まない。たとえば、開発者が想定(決定)したアーキテクチャのスタイルと、ソースコードを分析して抽出された実際のアーキテクチャは一致しているだろうか?
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